しょういち家頁

なんとか理解できてうれしひんじゃ。


(昨日の説明をあれこれしてみませうー。)


 こんばんは。


(まんず、類人猿のお話に入ります前に、キンパラとジュウシマツという鳥を例にして説明してくださっています。コシジロキンパラは野生、それをヒトが飼うようにしてきたのがジュウシマツですよと。んで、両方ともにオスは数種類の歌を歌うことができるのですよと。んで、キンパラが歌う順番はもうかっちりと決まっている、先天的に決まっている、なんせメスの好みにオスが合わせるのだからと、そうです、メスが圧倒的に強いのです、どうもさーせん。ところが、これがジュウシマツは順番通りになんか歌いませんよ、自分の好きに歌うのですよと。ちと待てよ、オスがメスに合わせるんじゃーなかったかと、ええ、そうです、そこはぶれませぬ、歌の順番の代わりに自らの羽を色鮮やかにするのですねと、そうなんですかと。そうしてどうやら脳の部位のお話になり、「先天的に知っている歌だけを歌える脳は非常に単純な神経経路」ですと、対照的に歌を経験や学習する脳は、前脳の運動核(RA)なのですよと、「歌の生成の制御はより縛られなく、より分散的に、そしてより融通が利くようになる」のですよと、あー、ただまとめただけなのになんしかちょと満足感がーぶひひー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

寒さの感じ方が体と頭で違ふ。


言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
言語の起源の仮説
自己馴致類人猿理論


(なにやら、むずかしげなちょとこわひ名前の理論が参りましたスー。)


 こんばんは。


コシジロキンパラとその家禽化された亜種であるジュウシマツとの歌の違いを調査する研究によれば、野生のキンパラは高度に類型化された順序で歌を歌うが、家禽化された方は順序にほとんど縛られずに歌を歌う。

野生のキンパラの場合、歌の統語構造はメスの好みに従わなければならず―性選択―、比較的固定されている。

しかし、ジュウシマツの場合は、自然選択はブリーディング、この場合は色鮮やかな羽、に取って代わられている。そのため、選択圧から解放されて、類型化された歌の統語構造が霧散してしまえるようになる。1000世代も経るうちに、よく変化して学習される順序に取って代わられてしまう。

さらに、野生のキンパラでは、他のキンパラから歌の順序を学ぶことはできない。鳥類の泣鳴反応の分野では、先天的に知っている歌だけを歌える脳は非常に単純な神経経路しか持たない。

強健な運動核 (robust nucleus of arcopallium ;RA) と呼ばれる前脳の主な運動中枢は音声出力を中脳に連絡し、翻って脳幹へは運動核を突き出している。

対照的に、歌を学習できる脳においては、RAは、学習や社会的経験に関係するものを含む、前脳の付加的な領域からの入力を受け取る。歌の生成の制御はより縛られなく、より分散的に、そしてより融通が利くようになる。


(あんあー区切り方がこれでいいのかさえ定かならず俺ー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

むう。×をもちっと小さくできぬか。


(。x)


 こんばんは。


言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
言語の起源の仮説
ジェスチャー理論(※つづきっスー。)

ヒトは今でも話をするとき、特に共通の言語がないときに手や顔によるジェスチャーを用いる。また、もちろん、膨大な数の手話も存在しており、一般的に聾者のコミュニティと結びつけて考えられている。言及しておくべき重要なこととして、手話は話し言葉に等しい複雑さ、洗練度、表現力を有する―認知機能も同等であるし使われる脳の部位も同じである。大きな違いは、「音素」が舌、歯、唇、息によって表現されて体の内部で作り出されるのではなくむしろ、手、体、顔で表現されることで身体の外部に作り出されることである。

ジェスチャー理論を批判する者は、霊長類においてより能率の低い非音声的なジェスチャーによるコミュニケーションが好まれて、(霊長類ではごく一部にしか現存しない) 音の高さに基づいた初期の音声コミュニケーションが放棄された根本的な理由を示しがたいと、いうことに言及する。べつの挑戦として、「ジェスチャー・ファースト理論」がデイヴィッド・マクニールのような心理言語学者によって提起されている。


心理言語学 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
心理言語学(英: psycholinguistics)は、人間が言語を獲得する過程や、言語の認知処理、言語の生成過程や方言の出現など、言語学の中でも特に人間の心理的過程を研究する学問であり、言語学と心理学の学際分野である。


(ぷひぃー。とん、とん。)

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