むかしーは、桜より梅だったくさ。
2026-3-6 23:02
こんばんは。
言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
コミュニケーション、音声、言語(※つづきでスー。)
ヒトの言語のカギとなる特性は問う能力にあるとも提言されている。(特にボノボやチンパンジーのように) ヒトである調教師と (主に視覚的な形でのコミュニケーションを利用して) 交流するようになり、複雑な質問や要求に正しく応じる能力を示す動物もいたが、彼らでも、そしてもっとも単純な形であっても自ら問いを発することはできなかった。
(あーそうなんスかそうなんですねーと思いました。「問う能力」、すばらしい着眼点です。敬服しますです。そうなんですが、ふと思いましたんは、彼らは、たとえばイヌやネコやオウムやおサルさんは、「疑問に思う」ことはあるのでせうか、そうであっても、それをヒトに「問う」までには至らぬゆうことなのでせうか、それとも、「疑問に思う」だなんてことはまったくせぬのでせうか、いーんや、んなこたーあるめーよーと思うのですが、すると俺の問いはなんなのだらう、なんなのでせう、えーと、ほんのもう少しで、たとえばヒトが上手に導くことで、彼らも「問う能力」を発現させることができるのか、いやいやそんなんそもそも無理となるのか、如何。)
ヒトの子供は統語構造を使い始める遥か前、彼らの発達段階のうち喃語期に (問うイントネーションを使うだけではあるが) 初めて物を問うことができるようになる。異なる文化に属する赤子はそれぞれの社会環境で母語を習得するが、地球上に存在する言語は例外なく―声調言語であれ、非声調言語であれ、抑揚言語であれ、アクセント言語であれ―一般疑問文には上昇調の「問うイントネーション」を使用する。この事実は問うイントネーションの普遍性の強い証明である。他に言及しておくべきこととして、激しい喜びの任意の表現は話し手の言語や国籍にかかわらず、概して下降調で発音され、これもまた普遍的であるということがある。
(これはあれでせうか、赤ちゃんが「ばぶ?(↑)」=「はよちちよこさんかいわーりゃー」や、「ばぶ?(↑)」=「いーからおしめかえろはやくしろ」とか、こんな感じのことなのでありませうかーあーあぁー(※→)。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
咳(せき)が。こんなことなかったんスけど。
2026-3-5 23:26
(ピダハン語にゃーまんだまんだひろがり、拡がり、広がりがありそうですが、ええ、それこそ「∞(無限大)」ですが、んが、またの機会にいたしませうー、これまで大変大変ありがとう存じまするー。)
こんばんは。
(あーそうでしたそうでしたー、どこでしたっけかーと過去にさかのぼりましてー、2月24日の記述なんですがー、間違いと誤認したりなんだりがありましたですねー、そんなことがありましたもんですから、ここはそのまんまあえてコピペ、はい、本日は復習をいたしますですーよろしうー。)
(と、思ったんですが、やっぱりやめます、うへへ、さーせん、と申しますのは区切りが悪いんです、ですんでさらにもう少し遡ります、はい、お願いします、どうしたいかと申しますれば、「コミュニケーション、音声、言語」の項を初っ端(しょっぱな)から再開といふことですーよろしうおたのもうしますー。)
言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
コミュニケーション、音声、言語
→「動物のコミュニケーション」および「動物の言語(英語版)」も参照
多くの科学者が音声と言語を区別している。(コミュニケーションのコンテクストとして、そしてとくに概念を形成してそれを伝えるための認知能力としての) 言語は精神遅滞や学習障害でも (特異性言語障害(英語版)のような) いくつかの場合には使えるし、動物界でも知られていると学者たちは信じている。
例えば、いわゆるトーキング・バードは様々な能力によってヒトの音声をまねることができる。しかしこのヒトの出す音をまねる能力は統語能力の習得とは大きく異なる。同様に、音声を発することは、現代の手話が証明しているように、言語を使用する上で必須ではない。
手話は音声よりむしろ手振りによる記号・文法を言語の基礎として利用している。モールス信号だとか手旗信号といった者の体系は別の形のコミュニケーションだが、必ずしも言語ではない。
ヒトの言語をヒト以外のコミュニケーションの体系から区別するカギとなる特性は再帰性であると主張されてきた。この言語学的な意味での再帰は、例えば(The man with the old crusty eyepatch he wore since WWII) walked to (the store that burned down before his uncle had put down the downpayment)という複合的な文や、あるいはより情報量の少ないThe man walked to the store which the man who walked to the store walked toという文のように、語句の中に語句を挿入する (あるいは埋め込む) ことを言う。
ムクドリ (Sturnus vulgaris) がこの再帰性を含む文法を習得できることがシカゴ大学での実験により明らかになった。実験者たちはムクドリに文脈独立な中央埋め込み(英語版)という文法を訓練させた。ムクドリは文法的に許容できる発話を認め、そうでない発話を拒否することができたと彼らは報告している。
さらに、ピラハン語はヒトの言語でありながら再帰性を示さないとダニエル・エヴェレットが主張している。
(ぷひぃー。とん、とん。)
目はまだしも、鼻と喉。
2026-3-4 23:26
(うおー、「ピダハン語」もたふたふ最後まで参りましたー、なんですが、この「達成感のまるで無さ。」ゆうんはーなんでですかいのー。)
こんばんは。
ピダハン語 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
他の言語に関する知識
(さーせん、読み物としておもしろく、たのしませてもらいました、んが、次に進みとう存じますよろしうさーせん-。)
言語と再帰
古典的には言語の文法について、英語の基本5文型(SV, SVC, SVO, SVOO, SVOC)といったように、有限個の類型に分類するスタイルがあった。
これに対しチョムスキー以降の生成文法の立場では、次のように、再帰が使われるようなかたちで文法を示す。たとえば "Big furious bears ran." というような文のうち、 "big furious bears" という句は全体として名詞句であるが、「名詞句 → 形容詞+名詞句」「名詞句 → 名詞」という2つの規則により生成が再帰的に行われ、「名詞句 → 形容詞 (形容詞 名詞)」となっていることが重要である。
自然言語一般に「その言語において正しい文」というものは、無限にあるように思われる。このような無限の文は前述のようにして、文法に再帰があることで可能になっていると現代の言語学では考える。また、そのように無限に新しく文を考えられることが、創造性などを支えているようにも思われる。
そしてチョムスキーは、ヒトには一般に初めて見聞きした文であっても、それが正しい文か「非文」かを、何らかの文法にもとづいて認識できる生得的な何かがあるという仮説を提示した。→「普遍文法」も参照
以上のような背景があることから、もし「再帰が無い言語がある」とすれば、それは大発見である、というような主張につながるわけである。
(ぷひぃー。とん、とん。)