しょういち家頁

昨日出てきた「クーイング」の英語スペルはー。


('qooing'とみましたぜ。して、正解は。て、文末にもっていきまーす。)


 こんばんは。


言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
認知能力の発展と言語(※抜粋ならびに続きっスー。)
チョムスキー、ホイザー、フィンチ (2002年) によれば、この(言語を使用するものが有する一種の騙す能力の)高いレベルの言及は六つの相からなる:

(1)心の理論

サイモン・バロン=コーエン (1999年) は、40000年以上前からの以下の物の使用の証拠に基づいて、心の理論は言語使用に先立たなければいけないと主張している:

意図を持って行われるコミュニケーション、失敗したコミュニケーションの修繕、教育、意図的な説得、意図的なごまかし、計画や目的の共有、話題や焦点の意図的な共有、騙り。

さらに、こういった能力を示す霊長類もいるが皆がそうではないとバロン=コーエンは主張している。コールとトマセロのチンパンジーに関する研究の中にはこのことを支持するものがあって、チンプはそれぞれ他のチンプにも意識、知識、意図があることを認識しているようだが、間違った信念については理解できていないようであるという。

多くの霊長類が心の理論を幾分か認識しているような傾向を示すが、ヒトが持っているのと完全に同じ心の理論を持つ者はいない。最終的に、言語使用のために心の理論が必要だという点に関してはある程度合意がなされている。そのため、ヒトにおいて心の理論が完全に発達したことが完全な言語の使用にとって必要な先駆者だったといえる。


(えーと、えー、まーんず、このお話に入ります、その前に、はい、その準備段階としまして、この「心の理論」なるものが果たしてなんなのか、そしてこの、この、なんだ、「理論」をもって何をどう説明してくれようと言うのか、そもそもどうしてこの理論がどこから生まれてきたのか、なーんてーのんがわかりませぬと、ああ、なるほど、俺のようなひとがいるかもとおわかりになってらっしゃる、ちゃーんと「心の理論」のページも存在するのですねーさすがですー。)


('cooing’. 単語'Coo'です。ハトの鳴き声も指すようです。あ、ええ、ええ、そうですよ、こんなもんっスよーうへへへへー。(※←てれ。なんでだ。))


(ぷひぃー。とん、とん。)

まーんず許容範囲。   あ。


 こんばんは。


(昨日の文中、まんなからへんで「喃語期」なる言葉が出て参りました。んで、こりゃーなんと読むのか、意味はなんなのか、おわかりになりますですか。俺の感じじゃ「ほごき」「母乳で育つ期間」とみました。どうスかねー。)


喃語 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
喃語(なんご、英語: Babbling)とは、乳児が発する意味のない声。赤ちゃん言葉とも言う。言語を獲得する前段階で、声帯の使い方や発声される音を学習している。

最初に「あっあっ」「えっえっ」「あうー」「おぉー」など、母音を使用するクーイングが始まり、その後多音節からなる音を発声するようになる。この段階が喃語と呼ばれるものであり、クーイングの段階は通常、喃語に含めない。

喃語の使用によって乳児は口蓋や声帯、横隔膜の使い方を学び、より精密な発声の仕方を覚えていく。


(ば、ば、      ばぶ?)


言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
認知能力の発展と言語
言語を使用するものが有する一種の騙す能力は高いレベルの指示、つまり話し手にとって直近ではないものについて述べる能力である。この能力はしばしば心の理論、つまりそれぞれの欲求や意図を持っている自分とよく似た存在として他者を認識すること、と結びつけて考えられる。チョムスキー、ホイザー、フィンチ (2002年) によれば、この高いレベルの言及は六つの相からなる:

 心の理論
 個と性質の区別のような、非言語的・概念的な表現を習得する能力
 指示の音声的シグナル
 合理的・意図的なシステムとしての模倣
 意図的なコミュニケーションの証拠としてのシグナル産生の任意の制御
 数表現


(うほ、そしてそして、どうやらここからこれらをひとつひとつ解説してくださっているようですーうわああああー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

むかしーは、桜より梅だったくさ。


 こんばんは。


言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
コミュニケーション、音声、言語(※つづきでスー。)
ヒトの言語のカギとなる特性は問う能力にあるとも提言されている。(特にボノボやチンパンジーのように) ヒトである調教師と (主に視覚的な形でのコミュニケーションを利用して) 交流するようになり、複雑な質問や要求に正しく応じる能力を示す動物もいたが、彼らでも、そしてもっとも単純な形であっても自ら問いを発することはできなかった。


(あーそうなんスかそうなんですねーと思いました。「問う能力」、すばらしい着眼点です。敬服しますです。そうなんですが、ふと思いましたんは、彼らは、たとえばイヌやネコやオウムやおサルさんは、「疑問に思う」ことはあるのでせうか、そうであっても、それをヒトに「問う」までには至らぬゆうことなのでせうか、それとも、「疑問に思う」だなんてことはまったくせぬのでせうか、いーんや、んなこたーあるめーよーと思うのですが、すると俺の問いはなんなのだらう、なんなのでせう、えーと、ほんのもう少しで、たとえばヒトが上手に導くことで、彼らも「問う能力」を発現させることができるのか、いやいやそんなんそもそも無理となるのか、如何。)


ヒトの子供は統語構造を使い始める遥か前、彼らの発達段階のうち喃語期に (問うイントネーションを使うだけではあるが) 初めて物を問うことができるようになる。異なる文化に属する赤子はそれぞれの社会環境で母語を習得するが、地球上に存在する言語は例外なく―声調言語であれ、非声調言語であれ、抑揚言語であれ、アクセント言語であれ―一般疑問文には上昇調の「問うイントネーション」を使用する。この事実は問うイントネーションの普遍性の強い証明である。他に言及しておくべきこととして、激しい喜びの任意の表現は話し手の言語や国籍にかかわらず、概して下降調で発音され、これもまた普遍的であるということがある。


(これはあれでせうか、赤ちゃんが「ばぶ?(↑)」=「はよちちよこさんかいわーりゃー」や、「ばぶ?(↑)」=「いーからおしめかえろはやくしろ」とか、こんな感じのことなのでありませうかーあーあぁー(※→)。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

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