半月もまたよろしー。
(昨日に続きまして、あれ、こんな場合、どうなるんでしたっけーなる、そんな疑問をおぼえちゃいますシリーズーどんどんどんーぽふぽふー。)
こんばんは。
(と申しますのんは、ほら、あなたや俺のご先祖さまの多くが「狩猟採集民」から「農耕牧畜民」になったんスよーと、それが1万年前やそこら、どうも2千年前後の開きが、まだ説によって違いがありますけれどもー、ゆう、こんな感じですよね。んで、はたと気づきましたんが、俺んなかで「農耕」と「牧畜」の間に大きな違いがありまするなーと気づいたんスよ。すなわち、「農耕」は俺にとりまして身近で、イメージがわきやすく、したがってまーんずわかりますよーとも思えるのですけれども、「牧畜」といいますのんが、どうも理解がぶれぶれ、どうやらまるきりわかっちゃイヌーわふわふーということに気付くのでありまーす。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
(なんてことを。)
こんばんは。
(昨日、更新いたしましたのちに、あれ、ネコはどうなるんだらうと思いまして、ほら、体のでかさのお話なんですけども、イエネコと、ライオンとか、トラとか、けっこうだいぶ違うよなあと思いまして、この点に関しましてはネコもイヌといい勝負ができるんじゃーあるめーかと思い、そういたしまして「ううーん」と背中伸ばし、あ、いや、うん、でも待てよ、イヌはみんな家畜だぞ、でもネコは違うぞ、ヒョウやジャグワだっていますですぞ、あ、「ネコ」と言うよりか「ネコ科」と言ったほうがいいのかな、そうか、いわばイヌは「イヌ」んなかで大きさが分かれている、対してネコは、「イエネコ」は「イエネコ」、そんなかで大きさはと言えばあまり変わらない。すると、するってーと、そうか、「科」ゆうんはどんなもんなんだらうとするお話になりますのんか、「イヌ科」「ネコ科」、そういえば「亜科(あか)」ゆうんが俺にゃーわからぬのですー、などなど、ああ、また「分類」、分け方のお話になりまするぞー、うんぬん、うんぬん。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
戻る。Back.
なにかがちゅうをとんでいる。
(しかし、スね。それにしても、スよ。あ、悪い顔だな、な、なんてことをっ。)
こんばんは。
(それにしても、イヌ、いぬ、犬、なんスよ。人類が家畜化した最初の動物なんですよーだなんて、俺りゃー知りませなんだ。と申しますか、もう少しほにゃほにゃに申しますと、そんなことを考えたこたーありませんでしたーゆうことなのでせうが、それにしましても、そのおつきあいの歴史の長さにしましても、いやいや、とんでもなき、すんごきことですよと。そうしてです、その歴史の長さーゆうこともあるのでせうか、これは前にも申したかと存じますが、本日、申し上げたき件は、イヌのサイズ、大きさのお話でして、繰り返しますが、どうかお考えくだされ、イヌの大きさって、振れ幅がとてつもなくでけーでねーですか、小型犬と大型犬の大きさの違いが、これほど大きいんですよーゆうんは、さーせん、どうか他の動物で考えてみてくだせえ、イヌの大きさの振れ幅に匹敵する動物は他にありますか、ヒトはどうですか、ヒトの大きさの振れ幅が、もしイヌと同じくらいにあるとしたらどうなりますか、ね、でせう、とんでもねーでせう、だってイヌの場合、体積にして十倍の大きさの違い、いえいえそれどころか百倍違っていても、なんら、ぜーんぜんおかしくない、ですよねー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
文鳥やカナリアはわりと近いスねー。
家畜化 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
家畜の一覧
家畜と原種、時期と場所(※抜粋っス。)
ウマ(馬)Equus ferus caballus
時期と場所:紀元前3000年以前のスキタイ文化圏(現・ロシア南部の一地域)。
原種:ターパンEquus ferus ferus
カイコ(蚕)Bombyx mori
時期と場所:既知で最古の例は紀元前2750年頃の中国南東部沿海地域(現・中国浙江省)。
原種: クワコ(en、桑子)Bombyx mandarina
キンギョ(金魚)Carassius auratus auratus
時期と場所:300年頃~400年頃(五胡十六国時代)
原種:ギベリオブナCarassius gibelio
ブンチョウ(文鳥)Lonchura oryzivora
時期と場所:1600年頃(約400年前、明代末)
原種: 野生のブンチョウ
カナリア(金糸雀、金絲雀)
Serinus canaria
時期と場所:1600年代(スペイン王フェリペ3世時代)
原種:野生のカナリア
(ウマの原種「ターパン」っちゃ、はじめて知りました、そうしてなんと絶滅してしまっていたのですね、20世紀初頭に。カイコ、そんな前に、うへえ。そうして取捨選択に俺の偏(かたよ)りがありますこと、あなたさまにおかれましては重々ご承知かとも存じまするが、よろしうさーせんー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
こっちのほうが、はるかにあれですよう。
家畜化 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
家畜の一覧
家畜と原種、時期と場所(※抜粋っス。)
ロバ(驢馬)Equus africanus asinus
時期と場所:紀元前5000年頃
原種:アフリカノロバ(アフリカ野驢馬)Equus africanus
ヒトコブラクダ(一瘤駱駝)Camelus dromedarius
時期と場所:一説に紀元前4000年頃の、一説に紀元前1400年頃の、アラビア半島南部。
原種:野生のヒトコブラクダ
フタコブラクダ(二瘤駱駝)Camelus bactrianus
時期と場所:一説に紀元前3500年頃のタジキスタンおよびイラン。一説には紀元前2500年頃の中央アジア。
原種:野生フタコブラクダ
Camelus bactrianus ferus
ネコ(猫、イエネコ;家猫)Felis silvestris catus
時期と場所:最古の飼育例は紀元前7500年前頃のキプロス島。固定化が認められるのは紀元前3000年頃(初期王朝時代初期)の古代エジプト。
原種:リビアヤマネコFelis silvestris lybica (Felis lybica)
(ラクダは、一瘤も二瘤も、もともと野生にありまして、そして個々に別々に生息したのですねー。イヌはネコと、あるいはネコはイヌと、この家畜化といいますお話じゃ、まったく、てーんで、まるっきり勝負になっちゃイヌー。あ。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
よくおわかりになりまするなと感心ですー。
家畜化 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
家畜の一覧
家畜と原種、時期と場所(※抜粋っス。)
ブタ(豚)Sus scrofa domestica
時期と場所:紀元前9000年頃の中国南部、あるいはベトナム。その他、紀元前6000年以前のユーラシアの広範な地域を候補地とした多起源説あり。
原種:イノシシ(猪)Sus scrofa
ウシ(牛、タウリン系牛)Bos primigenius taurus
時期と場所:紀元前8300年頃のアナトリア半島(アナトリア高原)など。一説に紀元前8000年頃の中東から北アフリカ西部にかけての地域。
原種: オーロックスBos primigenius
セイヨウミツバチ(西洋蜜蜂)Apis mellifera
時期と場所:紀元前8000年以前のイベリア半島(南ヨーロッパ西部)。
原種: 野生のセイヨウミツバチ
ニワトリ(鶏)Gallus gallus domesticus
時期と場所:紀元前6000年頃の、インドから東南アジアにかけての地域。
原種: セキショクヤケイ(赤色野鶏)Gallus gallus
(いずれにしましても、俺が思ったよりはるかに早かったっスー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
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家畜化 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
歴史
ヤギとヒツジの家畜化
イヌに次いで家畜化されたのはヤギとヒツジで、これらも時期については諸説あって、ヤギがヒツジに先行したともヒツジがヤギに先行したとも主張される。
いずれにしてもおおよその時期は紀元前8千年紀の前後数千年の間のことで、地域は、ヒツジがメソポタミア地方、ヤギはその北東に位置するイランであったとされている。
ヤギとヒツジの家畜化は、定住による人口増加とそれに伴う野生動物の減少を補う手段であったと考える研究者もいるが、遊牧民によって成されたというのが従来の考え方である。
乳(山羊乳)や毛(羊毛)など二次生産物の利用は、家畜化からかなりの時間が経ってから行われるようになったとする説もあれば、ヤギの家畜化は肉・乳・皮の利用から始まったとする説もある。
また、ヒツジの家畜化は、先行して始まっていたヤギの利用では十分に補えない、ヤギのそれより栄養素として高品質な脂肪と、被服に活かせる高品質な毛の確保にあったとする説がある。
(そっスかー、ウシやブタより先なんスねー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
こんなんもどうスかなー。
先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
石器時代(※抜粋再掲っス。)
中石器時代
この時代の遺跡は少なく点在状態にあり、古代のごみ捨て場である貝塚程度しかめぼしいものが見つからない場合もしばしば
食糧は貝殻類に限らず動物や鳥類の骨など、また既に犬を飼う習慣を持っていた事、時に人骨や石器類も発見
こんばんは。
家畜化 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
歴史
イヌの家畜化
イヌは、タイリクオオカミに属する複数の亜種のいずれかから亜種レベルで種分化したと考えられている。
時期については様々な説が唱えられており、それらの説どうしの時間的な開きは大変に大きい。
最も古い時期を推定するのは分子系統学的知見に基づく学説で、現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)の出現以前、つまり、ネアンデルタール人類かプレネアンデルタール人類が成し遂げた可能性を示唆しており、紀元前98000年(100000年)を超えた過去にまで遡り得る。
また、考古学的知見では、シリアのドゥアラ洞窟(Douara Cave. シリア砂漠にある中期旧石器時代の洞窟遺跡)にある紀元前33000年前(約35000年前、ムスティリアン期)のネアンデルタール人(ネアンデルタール人類)の住居跡から出土した“オオカミでもジャッカルでもなく、イヌにしか見えない、小さなイヌ科動物の成獣らしき個体の下顎骨”が、“人類史上最古の家畜化の証拠”かも知れない遺物である。
しかし、多くの学説はやはり現生人類の手で成し遂げられたと主張している。
最も遅い時期を推定するものは紀元前11000年以前(約13000年前)とする。
地域については、かつては中東説が有力であったが、ミトコンドリアDNAの解析が成されて以降は東アジア説が最も有力となった。
しかし2010年代後半になると別系統の分子系統学的視点から中東説とヨーロッパ説が多くの研究者の支持を集めるようになってきてもいる。
(あざーす。ぷひぃー。とん、とん。)
時代設定は問わぬお約束ー。
(いえね、昨日のお話にゃー、こんな俺の思いが隠れていまして、ええ、てなことに、なーんてことに、自分自身、いまんなって気づいたんスけれども、それは「憧(あこが)れ」ってやつでしてー。)
こんばんは。
(と申しますのんは、子どもの頃から、いや、おとなんなってからさえも、ほら、あの、火打石を両手に、かっかっかっと、その両手に握りしめた火打石同士を打ち鳴らしーの、じょーずに火花を散らしーの、それを足元の、集めて重ねておいた藁(わら)なりの塊の上に落としーの、やがて煙がもくりと出ーの、それをまたじょーずにふうふう吹いて火をおこしーのーとする、その一連の流れを、なんの苦も無く、しごく当たり前のこととしてやってのけるなんてーのんは、「それってすごくね?」「もんのすごくね?」「サバイバル能力高くね?」「てか、もっと単純に、かっこよくね?」と、ずっとずっと思っていましたー。
もしかしたら俺の認識が間違ってるかも知れませぬ。火打石は両手じゃなくって片っ方だけかも知れませぬ。などとする細部はおくとしましてですね、こういうことをですね、昔のひとは誰でもできたんだらうかとか、そのための道具一式を常に持ち歩くようにしていたんだらうか、とか、さらに申しますと、ほら、砦や要塞なんぞとかで、あるいは寺社とかで、絶えずずっとずっとずうーっと火をつけっぱなし、火を常に絶やさぬように気を配る、ゆうんは、もしかすっとこの火起こしの作業なんぞが大変で、材料などが無いとなるとすぐに大騒ぎんなってしまふような大仕事で、他にも例えばちょっとだけでも湿度があったりすると途端に難しくなってまうだとか、とかなんとかで、だから火をいつでも簡単に分けられるようにしてますーゆうんが、これが結構重要で、ときに権威と結びつく、ときに権威そのものとなることもあるんスよーと、こうしたことが、ひょっとして考えられなくもなくもたりらりらーんとかでー、あざーす。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
本日はこれだけ、さーせん。
こんばんは。
先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
石器時代(※抜粋再掲っス。)
多くの地域で、中石器時代を特色づけるものは小さな燧石を用いた道具類であり、細石器やマイクロビュラン、漁具、石製手斧など
燧石(※抜粋っス。) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
燧石(ひうちいし、すいせき、flint、フリント)または火打石は、非常に硬質な玉髄質の石英からできている岩石の一種
チャートの一種であり硬い上に加工しやすいので、石器時代には世界遺産のスピエンヌの燧石鉱山に見られるように石器の材料として使用され、鉄器時代以降は火打石として利用されていた
成分
燧石の化学成分は、そのほとんどがケイ酸で、その他石灰などの無機物や炭素などを含む、それらの不純物によって黒色となることから焼却し除去すると白色となる
用途(※他用途は割愛っス。)
石器
石器時代では、フリントから打製石器や磨製石器等が作られた
火打石
フリントを鉄や黄鉄鉱に強く打ちつけることで削られた金属粉末が酸素と反応し火花を放つことから発火具として利用された
(ぷひぃー。とん、とん。)
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時期のずれに幅がありまんにゃ。
先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
石器時代
中石器時代
「中石器時代(Mesolithic、Middle Stone Age)」は、石器時代の中ごろに当る約20,000年前から約9,000年前の時期を指す
これは人類の技術発展に基づいた区分
この時期は約10,000年前に当たる更新世の終わり頃に始まり、地域によって様々な農耕の導入を終わりの契機とする
近東など一部地域では、更新世の終わり頃には農耕が始まっており、そのようなとこでは中石器時代の定義は短い期間のあやふやなものに
また氷河の影響を受ける地域では「亜旧石器時代」もしくは「末期旧石器時代」という用語が適する
逆に第四期氷河時代終焉によって自然環境が好転する恩恵を受けた地域は、はっきりした中石器時代を迎えた
北欧では、広がる湿地帯から食糧をたくさん得ることが出来た
同様に、マグレモーゼ文化やアジール文化なども豊富な資源を背景に発展
ヨーロッパ北部ではこのような時代は6000年前まで続いた
この時代の遺跡は少なく点在状態にあり、古代のごみ捨て場である貝塚程度しかめぼしいものが見つからない場合もしばしば
しかし貝塚はその当時の生活様式に関する情報を与える
食糧は貝殻類に限らず動物や鳥類の骨など、また既に犬を飼う習慣を持っていた事、時に人骨や石器類も発見
多くの地域で、中石器時代を特色づけるものは小さな燧石を用いた道具類であり、細石器やマイクロビュラン、漁具、石製手斧など
また、場所によってはカヌーや弓なども木製具も発見
このような技術はアフリカのアジール文化で起り、北部アフリカのイベロ-マウリシオ文化やレバントのケバラン文化を通じてヨーロッパに伝わった
この他にも独立した発見も
(ぷひぃー。とん、とん。)
てやんでぃべらんめへっく
(ちん。きしょーめ。)
こんばんは。 は。
(次に参ります前に、地図に関してもうひとつだけ、オーストラリア大陸と、南米大陸が、最果ての地と申しますか、最遠距離に当たるのですねーと。てくてくと出アフリカしますと、そうなるのですねーと。俺の乏しい知識なりイメージですと、とくに南米大陸につきまして、ほら、アフリカ大陸の西っこと、南米大陸の東っこは、もとはくっついてましたよーゆうて、その証拠にぎざぎざがぴったりはまりますよーゆうて、おおーゆうて、そんなイメージが、ですからお隣さん、近いんスよーとする印象が、そしてまた、距離感を狂わせてしまいますことに、この国を真ん中にするメルカトル図法の地図ですと、アフリカが左端っこ、南米が右はじっこの両端に別れてまうもんですから、そんなこんなで、アフリカ大陸から陸路ですと南米大陸がもっとも遠いんスよーと言われましても、いまひとつぴんと来ませぬー。オーストラリア大陸のほうは、ん-、どうなんでせうー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
風が、てやんでぃべらんめはっく
(えー、おっとりへっぴり、昨日、こ参照いただきました文章につきましての、俺なりの感想なんぞを、ああ、たとえどんなに内容がないようだらうとも申さねば(※<◎)、あ、そうそう、そうでした、あごの、顎の骨からわかりましたーゆうんが、ご先祖さまのあごの形が変わったことで「初歩的な言語を扱うのに充分な能力を獲得」したんですよーとすることが、うっわふんげーどうしてそんなことがわかるんでせうかーすんごいすんごいなーと、ええ、あれですか、話す、意思の疎通を言葉で行う、ゆうことが、骨が変形し発声できるようになったことで可能になりましたーゆうことなんでせうかー。しっかし、それにいたしましても、ほんとに、ほんとーに、そんなことからそんなことがわかるだなんて、連想できるだなんて、まさしく天才としか言いようが、あんれまー。)
こんばんは。
(そしてです、添付の地図が、「ミトコンドリアDNAを集団遺伝学で分析した結果から得られた初期の人類の移動(en)図。数字は現代を起点に1000年単位で遡った時期を表す。」ゆう地図が、これがまた感動ものでして、こんな俯瞰の仕方をする地図など俺はこれまで見たことがありませぬ、なるほどこうやって大陸をぜーんぶ表す地図もありますのんかーと、たしかにわかりやすんですもんにゃーと、いんやー本日はそうした感動もののご紹介でござーますでしたー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
なんと、そりゃ更年期だって、は。
こんばんは。
先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
石器時代
旧石器時代
「旧石器時代(Paleolithic) 」は「石器時代の古い頃」を意味し、石を道具として用い始めた時期を指す石器時代の初期に当たる時代区分
さらに区分され、初期に当たる前期旧石器時代はホモ・サピエンスの前段階に当たるホモ・ハビリス(と近縁種)が石器類を使い始めた約250万年前頃
初期のホモ・サピエンス登場は、約20万年前の中期旧石器時代
彼らは初歩的な言語を扱うのに充分な能力を獲得する変化が、頭蓋骨の顎部骨格を分析した結果から認められた
出アフリカを果たす7万から5万年前には、彼らが使う石器や骨角器など使用する道具類は精巧で種類も豊富になり、埋葬や原始的な音楽が見られるようになった事も中期旧石器時代の特色
中期旧石器時代の文化は主にホモ・サピエンスが担ったが、ネアンデルタール人やデニソワ人も一部共存
芸術は約3万年から約1万年前の後期旧石器時代には始められていた
フランスのラスコー洞窟の壁画やヴィレンドルフのヴィーナスが製作
また、数の概念もつくられたらしく、コンゴ民主共和国で出土したヒヒの骨に刻まれた記号は最古の数表現
旧石器時代に人類は、狩猟採集社会で遊牧民的な生活を送っており、その社会も非常に小規模で平等なものだった
が、豊富な食糧調達が可能なところや、貯蔵方法の発展によって首長や社会階層を持つような複雑な共同体を構成していたところもあった
(ぷひぃー。とん、とん。)
戻る。Back.
ほっぺのほてり。
先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
人類の発生
猿から進化して人類が誕生した時期は、約400万年前
最古の人類化石はアウストラロピテクスなど猿人であり、彼らは二足歩行をして非常に簡単な石製道具を使用
彼らの発生や進化の過程には様々な説が提示
(ああ。もうこれだけで、腹はあれスけど、胸が、胸が高鳴りまくりじゃくりの大興奮状態、そうでしたっけ、400万年前でしたっけとか、そうでしたっけ、アウストラロピテクスさまたち、先祖の先祖のご先祖さま、もう二足歩行して道具を使ったんでしたっけ、石を持ってかしんかしんしてたんでしたっけねー。)
こんばんは。
石器時代
旧石器時代
→詳細は「旧石器時代」および「アフリカ単一起源説」を参照
(もう、もう、もう、ぷひぃー。とん、とん。)
風や湿度のちょっとのちがいで体感がー。
(昨日の冒頭の文のつづきなんスけども、話すことと書くことは別物であること、かつては文字を書けずとも聞いて覚えたこともたくさんありました、としますと、どうですか、「記憶力」ゆう観点から考えてみますと、耳で聞いてそれだけで憶えた、そうしなくてはならなかった昔のひとびとは、今のひとよりも、ずっとずっと優れていましたーゆうことに、ひるがえってみますと、昔のひとのほうがはるかに記憶する力がありましたよーゆうことにー。)
こんばんは。
(昨日の文につき、初期の先史時代研究は制約がありましたと仰せになりつつも、様々な学問が様々に考えてくれましたよーと、けっこうこれってこれだけでもすごいことなんじゃあるめーかと思わせてくださいました。そしてまた、後半部の地域ごとの開きが、時間的にずいぶんとありまんにゃーと、なんせ例示を見るだけでも5千年の開きが、そうしまして、この国の場合はどうなるのかなと思い、うーん、紀元2世紀や3世紀ゆうことになるんでせうか、正確にゃご勘弁を、それと、時代が後だからと言いましても、だからと言って「遅れている」とかそういうことじゃありませぬことを、はい、例えば冒頭に申し上げたことなどもそうと言えそうかもと、あ、今んなって思いついて後付けスけどもーうははー。)
文末につれむんずかしうなるっス法則。
(昨日のお話で、そうですか、なるほどと思いましたんは、まあまあ今更ながらのお話なのでありますが、「言葉」と「文字」は別物ですよーちうこと、口述、話すゆうことと、筆記、書くということ、会話をして意志の疎通を図りますよーゆうことと、文字を書いて記録を残しますよーゆうことは、まったくの別物でありますことよとゆう、こうして書くと当たり前なんスけどもー。)
こんばんは。
先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
定義
定義において文書記録が無いとされる先史時代は、それを取り扱う際に時代の見極めが特に重要
しかしはっきりとそれを断定できる手法は19世紀になるまで開発されず
そのため、初期の先史時代研究は、発掘・地質および地理調査・自然や文字を持たない民族の習慣を分析するなどの、考古学や形質論的人類学に頼らざるを得なかった
また、遺伝学者による人口分布や歴史的な言語学もこの研究に見識を提供
文化人類学は婚姻や貿易の起源や波及の様子を知らしめ、先史時代の人類がどのような文化背景の中にあったかについて豊富な情報を提供
この他にも、古生物学、生物学、花粉学、天文考古学、比較言語学、人類学、分子遺伝学など多くの自然科学・社会科学が先史時代分析に情報をもたらした
先史時代における人類の歴史は、記録された編年的歴史だけでは判断することは不可能であり、もっぱら遺跡や遺物などの発掘を通じた考古文化的分析から得ることになる
先史時代の終わりについても、有意な学術的歴史記録が発生する時期という点で見る限り、地域ごとに異なってくる
例えば、エジプトは紀元前3200年頃には記録が作られ始めるために先史時代は終焉したと言えるが、
ニューギニア島は同様の意味では紀元後の1900年前後に先史時代を終えたと言わざるを得なくなる
アメリカ大陸についても、以前はクリストファー・コロンブスによる発見以前を「先史時代」と扱うこともあった
アウグスト・シュライヒャーとフリードリヒ・マックス・ミュラーは言語学の観点から先史時代と有史時代を区分
先史時代の言語とは単独の音節を並べるような状態から膠着や屈折などの形態を持つに至る段階であり、これが権力の発生とともに文法の整理など共通言語としての体裁が整いつつ文字言語が成立した
マラメルによると、これらは人間集団の知性が言語に及ぼす変化について、法則的に説明する試み
(ぷひぃー。とん、とん。)
読み物として気軽にしやーす。
そしてありがとうございまーす。こんばんは。
先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
概要
対象範囲は、定義に忠実ならば宇宙開闢以来の時間範囲が該当
しかし一般的には地球上で生命誕生が起こってからの時代が取扱われ、特に人類が出現してから以降と捉えられることが多い
この人類発祥後の時代は三時代法というそれぞれの時に使われた主要な道具類の種類に基づく石器時代(旧石器時代、新石器時代)、青銅器時代、鉄器時代という連続した時間ごとの時代区分が用いられ、
それ以前は地層が形成された時期を元とした層位学的地質記録に基づいて地質時代単位で分けられる
ただし、マカリスターなどは石器時代に先行する加工性に優れる木材を利用した木器時代を提唱し、
また人類史において道具を使わない時代も想定
また、新石器時代と青銅器時代の間に銅器時代が入る場合もある
「先史時代」と「歴史時代」を明瞭に区別する基準は、その時期に記された文献の存在有無による
文字が初めて用いられたのは地域によって異なるが青銅器時代後期から鉄器時代中期の頃と分析されており、この時期から地域的な有史時代が始まる
しかし、先史時代と有史時代との間には神話や伝承など口述記録が伝える「原史時代」または「中間時代(Intermediate Age)」 も置かれる
そのため、歴史家は文字記録だけに頼らず、考古学に代表される自然科学や社会学的分析を取り入れて、太古の歴史に対する解析を行う
(ぷひぃー。とん、とん。)
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こんな展開も楽しからずやー。
(えーと、あれ、あれれ、あんのー、質問なんスけどもーな-んで「先史時代」ゆう項目を引っ張ってこさせてもらいますーゆう流れに、はて、どうしてそうなったんでしたっけねーとかなんとかーうへへへへー。)
こんばんは。
先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
先史時代(英: Prehistory、羅: præ=の前 + 希: ιστορία=歴史)は、「歴史時代(有史時代)」以前の歴史の時代区分に当たり、文字使用前の人類の歴史
1838年にスウェーデンのスヴェン・ニルソンが著した『Skandinaviska Nordens Urivanare,Lund (北欧スカンディナヴィアの原住民)』において用語「forhistoria (先史)」を用い、
1851年にダニエル・ウィルソンが『The Archaeology and Prehistoric Annals of Scotland (スコットランドの考古学と先史時代の年代)』で英語圏に紹介し、
1865年にジョン・ラボックが『Pre-historic Times (先史時代)』を発表して以来、英語の単語として「prehistoric」が広く使われた。
(てなこって冒頭からー、しかし「歴史時代以前の歴史の時代区分」ゆうてー、なんだかへんてこなー、そうとも思える表現ですねーありがとう存じますー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
つれづれ書きましたらながーく。
(えー、昨日の文末の、自分でもようわかっちゃいませぬ質問は、ああ、そうか、こーゆーことかも知れませぬーと思いつきましたんは、「定住」と人口増加の関わりについて、かも知れませぬと思いました、するとまーんず川沿いに住むことになりますんで、ええ、たいていの場合にそうですよね、すると今度は洪水の被害のお話になったり、なんとかしてコントロールせにゃーとなったり、あるいは、ちょうどほどよい程度の軽い洪水であれば、土地が肥沃(ひよく)んなって作物がよう育ってくれてよろしおすーと、とまあそんな「ちょうどの程よさ」のお話になりましたりで、あ、あと、この国の「縄文文化」が、農耕や家畜のお世話んなる前に「定住」できはじめましたんはどうしてでせうかーとする疑問や、ええ、これらのでっけえテーマ、もしかすっと、いや、もしかせずともライフワークゆうことでしてー、ああーこんなけを書くだけでもー疲れてもうたー。)
こんばんは。
先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
先史時代の人類史(再掲っス。ありがとうございます。)
青銅器時代
4000年前:農耕の普及により人類の人口が推計8700万人に達する
3700年前:楔形文字が発明され、文字記録が始まる
(本日はこればかりを、「文字」の発明ゆうんは、やっぱり「農耕」の後になるんかしらんのーと思いまして、「農耕」がはじまり、「定住」して集まって暮らすように、するってーと食料の量が増え、保存ができるようになりまして、記録に残す必要が生じまして「文字」を発明しました、こんな流れんなるんかーと思ったんですが、するってーと、それより前の、はるかに遡った昔に描いた壁の壁画ゆうんは、流れがまるっきり違いまして、ほう、すると「絵画」と「文字」は、似ているようでぜーんぜん別物っスーとなるのか、いやいやそうとは言えお隣さんですよとなりますのか、いま書いていて気付きましたが、ほら、「絵画」が創造で右脳、「文字」は論理で左脳、や、やいやいやいーそんな短絡的に二項対立っぽく語るんは危険だべさーようようようー、なんぞと、あの、批判や非難などありませぬ、なんらかのきっかけにでもなりますれば、さーせんー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
えー、6千年で、えー。
先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
先史時代の人類史(続き、抜粋っス。ありがとうございます。)
中石器時代
10,000年前:人類の人口が推計500万人に達する
新石器時代
8000年前から7,000年前:
現代のイラク北部に当たるメソポタミア北域で農耕が始まる
栽培されたものはオオムギやコムギ。当初はビールやグルーアル(粥)またはスープに調理され、後にパンが作られた
当時の初期農耕では耕作において棒がよく用いられたが、やがて数世紀後には原始的なプラウに取って代わった
エリコに周囲8.5m、高さ8.5mの円筒型石塔が築かれたのもこの時期
(うわあ。農耕がはじまったんは、そうと確認できますのんは、場所はまずはメソポタミアだったんスよーということでせうか。そうして、パンの前につくられたものがあったんスねーと。て、思えば、俺にゃー「中石器」なるものがようわかりませぬが、それを言われますとじゃあ「新石器」は何が新しいのかとなりますが、それもようわかっちゃいませぬが、あああーようしうさーせん-。)
青銅器時代
4000年前:農耕の普及により人類の人口が推計8700万人に達する
3700年前:楔形文字が発明され、文字記録が始まる
3000年前:ストーンヘンジの建造が始まる。初期のそれは、56本の木製の柱と円形の溝や傾斜で築かれたものだった
(ああ。4000年前に、すると紀元前2000年ですか、このころまでに人類人口がこれだけになりましたーゆうことを、「農耕」の技術っちゃーすごいと、人口を増やすと言う意味ですごい高効率だーと思ふ、それとも、まあまあ「農耕」という技術がなくとも、生物ゆうんは自然に増えるものなのですよと、気候が適してて食べ物が豊富にありますれば、ということなんか、あああーすみませぬー自分で書いてましても質問の意図がようわかりませぬーさーせんー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
さむすぎたりあつすぎたりー。
(ええーっと、たっしか、えーっと、あ、ありましたですーうへへー。)
こんばんは。
Y染色体ハプログループ(抜粋っス。)出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
男性で遺伝するY染色体のハプログループ(=ハプロタイプの集団)のこと
概要
Y染色体の最新共通祖先 (Y-MRCA、非公式にはY 染色体 Adamとして知られている) は、現在生きているすべての人間が父系で子孫を残した最新共通祖先 (MRCA )
Y染色体を持つアダムは、およそ 236,000年前にアフリカに住んでいたと推定
他のボトルネックを調べると、ほとんどのユーラシア人男性 (アフリカ以外の人口からの男性) は、69,000年前にアフリカに住んでいた男性 ( Haplogroup_CT ) の子孫
他の主要なボトルネックは約5万年前と5千年前に発生し、その後、ほとんどのユーラシア人の祖先は、5万年前に生きていた4 人の祖先に遡ることができた
彼らはアフリカ人の子孫だった (E-M168)
(えー、そしてここ数日のものと、さらに以前の抜き出し(※9月20日。こいつはもちろん俺備忘録メモ。)なんぞをー。)
930,000年前:寒冷化。人類の人口が激減し、1万3千人以下に?
300,000年前:人類の人口が推計100万人に達する
75,000年前:トバ火山大噴火(トバ・カタストロフ理論)(俺注:人類の人口が1万人以下に?)
58,000年前:ヘリコバクター・ピロリ菌拡散
10,000年前:人類の人口が推計500万人に達する
1804年:人類の人口が10億人に達する
1927年:人類の人口が20億人に達する
2025年:人類の人口が83億人に達する
(ぷひぃー。とん、とん。)
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あれこれするだけでぷひひひひぃー。
先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
先史時代の人類史(続き、抜粋っス。ありがとうございます。)
後期旧石器時代
32,000年前:オーリニャック文化がヨーロッパで発生
30,000年前から28,000年前:フランスのヴェゼール渓谷で、トナカイの狩猟が行われた。(ヴェゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟群)
28,500年前:アジアもしくはオーストラリアを経由して、人類がニューギニア島へ到達
28,000年前から20,000年前:ヨーロッパでグラヴェット文化が起り、銛、針、鋸が発明
26,000年前から24,000年前:繊維の利用が広がり、籠や衣類、袋、籠、網や女性が用いたベビーキャリーなどが作られた
25,000年前から23,000年前:チェコ、モラヴィアのドルニ・ヴィエストニッツェ遺跡から非常に古い土偶が発見。主に粘土を焼いて製作されたもの。発見された人類最古の定住を示す証拠と目されている
20,000年前から18,000年前:フランスでシャテルペロン文化が興る
16,000年前から14,000年前:フランス、ピレネー山脈のテュク・ドドゥベール洞窟にて、ヨーロッパバイソンを描いた洞窟壁画が発見
14,800年前から12,800年前:北アフリカ気候が湿潤期となった。後に乾燥してサハラ砂漠となった地域は、当時水が豊富かつ肥沃であり、帯水層で満たされた
13,000年前:
北東アジアで土器の製作が始まった
グリーンランドの氷床に巨大隕石が衝突し融解、恐らくエンケ彗星由来の可能性。そしてヤンガードリアス期が始まり、北米で動物が大量絶滅し、インディアンのクローヴィス文化も消滅。巨大クレーターは氷床に埋まってしまう。遠くにも巨大クレーターが発見
中石器時代
10,000年前:人類の人口が推計500万人に達する
(ぷひぃー。とん、とん。)
こんな展開など、書き始めるまで思わず。
(それにしましても、やっぱり気になる「ネアンデルタール人」、ああそうそう、こんなお話を思い出しましたよ、うへへ、このすばらしき「ネアンデルタール人」が残念なことに絶滅してしまった理由、さまざまな説がありましたが、ええ、たくさんあったように思うのですが、そんな中からふるいにかけるなどし、現在ではほぼ固まっているのでせうか、よう存じませぬ、さーせん、なかでも印象的だったのが、もう消えてしまった仮設だったのせう(訂正:「せう」を削除、しやーす。)か、今では聞くことがありませぬが、その仮説はと申しますと、頭がでっかくなりすぎましたーゆう説でして、そうなんです、赤ん坊の頭が見事に大きくなりすぎてしまい、難産ばかりになってしまい、母体への負担や危険があまりにもでかくなってしまいました、これが原因なのですとする説がありまして、えええーほんとスかそうなんスかーと、俺は衝撃を受けた、ですんで今も憶えている次第なのです、はい、けど、今こうして改めて書いてみますと、それを聞いたときは「えええー」と、どうやら眉につばをちょろりと、ええ、胡散臭いにほひを、ちなみに大好物ですが、ですがまあ、そんなにほひを嗅ぎ取ったものでしたが、思えばですね、シカのでかすぎる角ですとか、サイなどの立派になりすぎました牙ですとか、そんな例はいくらでもありますよね、有利不利など関わらずにどしどしでっかくなる例がたくさんあるでねーですか、それを思えば、この説だって決して無きにしも非ずなんかもなーと、ええ、今あらためて思いました、そしてごちそうさまっスー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
単位が「万年」ス。
(この当時のこの国の人口っちゃー、密度はめっぽう低かったことでせうと申しましたが、ほんじゃあーどのくらいでしたんかなーと、ふと思い立ち、そんなんあるかしらんと調べましたところ、こんなん出ましたけどー。)
こんばんは。
先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
先史時代の人類史
すべての年代表記は、人類学、考古学、遺伝学、地質学や言語学から推測
旧石器時代・中石器時代
120,000年前:解剖学的に現代人と言えるホモ・サピエンスがアフリカで誕生
300,000年前:人類の人口が推計100万人に達する
300,000年前から30,000年前:ネアンデルタール人のムスティエ文化がヨーロッパで発生
75,000年前:トバ火山大噴火(トバ・カタストロフ理論)
70,000年前から50,000年前:ホモ・サピエンスがアフリカからアジアに拡がる。次の1000年間に、この人類の子孫に当たる集団の居住域は南インド、マレー諸島、オーストラリア、日本、中国、シベリア、アラスカそして北アメリカ北西部まで広がった
(うへえ。そうでしたね。トバ火山の噴火もありましたですね。んで、とりあえず30万年前、ふーん、「ホモ・サピエンス」の前の種だったのかなとも存じますが、そんなご先祖のご先祖さまらが、全世界で100万人、これが約30万年前、これが現在83億人、ぷひいー。えーと、何倍だ、何倍になりますかなー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
そうしてみとうぞんじますればー。
(さむいんスよー。)
こんばんは。
最終氷期(※抜粋っス。) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
最終氷期(英: Last Glacial Period)とは、およそ7万年前に始まって1万年前に終了した一番新しい氷期のこと
氷期の中でも地質学的、地理学的、気候学的に最も詳しく研究されており、気温や、大気・海洋の状態、海水準低下により変化した海岸線など緻密な復元が進んでいる
名称
俗に「氷河期」という言葉を使うときはこの時代を指すことが多い
地域によってヴュルム氷期、ウィスコンシン氷期と呼び分ける
最も氷床が拡大したおよそ2.1万年前を最終氷期の最寒冷期(最終氷期最盛期、Last Glacial Maximum、LGM)と呼ぶ
(うへえ。てなこって、三万五千年前いいましたら、この「最終氷期」どまんなかー、しかも最盛期に向かってる最中ちうことでよろしうー。そしてそしてー、じっくりとみていきまっせうー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
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♪んごごごご(※ふへへへへー。)
(時は、三万五千年前なりよー。)
こんばんは。
(ええ、とりあえず、三万五千年前にゃー、ホモ・サピエンスがここ、後の日本ちゅーところにいたんですよーっちゅーて、教えてもろたさかい(※どこ弁。)、とりあえずそーゆーことにしときまひょ。よろしうつかーさい。んでもって、ですから、あなたや俺のご先祖さまが、ご先祖さまらが、ぞろぞろと、いや、人口密度は限りのう少なかったからでせうから、「ぞろぞろ」でのーて「そろっ、そろっ」くらいでよろしうつかーさい。んでもって、格好はどんなでせうか、やっぱりあれでせうか、毛皮の、牛さんとか鹿さんの毛皮の、もふもふの、片っぽの肩にひっかける感じの、ええ、そうなんスよ、なんせあれです、当時のこの地は、まあまあまあ、とってもとっても、とてつもなく、とほうもなく、
さむいんスよー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
♪ごごごごご(※効果音。だいぶ久しぶり。)
(あ、なんの効果音かーちゅーて、壮大な物語のはじまりスよちゅーてー。)
こんばんは。
(時は、時は、あれ、えーと、ちょっと待ってください、えーと、えー、うわ、あれれ、ああそうか、そうスか、そんなんでせうか、ふんむうー。)
現生人類の拡散(※抜粋ス。) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホモ・サピエンスが世界各地へ拡散した経緯について述べる。なおそれに先立ち旧人類も各地へ拡散していた
ホモ・サピエンスが誕生し、移動を始めたのはおおよそ30万年前
アフリカ単一起源説では、おおよそ7万年前から5万年前に東アフリカを発ったホモ・サピエンスが現世人類の祖
現生人類がアフリカを出てアジア南沿岸経由で近オセアニア地域への移動を始めたのがおおよそ7万年から5万年前
約4万年前までにヨーロッパ中に分散した
東アジアや北アジアへの拡散
ミトコンドリアDNAハプログループA、B、Gの集団の起源は5万年前
シベリアや朝鮮、日本に3万5千年前には定住
(どうスかー壮大っスよーですよねー。)
♪ごごごごご(※効果音。コピペしたかつた。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
(えーと、他にもこのWikipedia「日本人」のページにゃー、人類集団についてたくさんのことを書いてくださっているのですけれどもー、詳しく書いてくださっているのですけれどもー、はてー、どうしたもんでせうかー。)
こんばんは。
(はわわ、たーくさんのアプローチの方法やー、たーくさんの諸説が生まれー入り乱れているようですーんだどもーそうなんスけどもー時に細かすぎたりー理解が及ばなかったりでーあんあーどうもさーせんー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
♪こんがらがらがら
(ああ、そうか、こーゆーことなんかも知れませぬー。)
こんばんは。
(と申しますのは、昨日のお話が、あ、先にあらゆる意味で批判などでありませぬことを申し上げたうえで、その「仮定」なんですね、はい、この仮定の仕方が、置き方がなんとも大胆だなあと、そして面白いなあと思ったんスが、なんせ東アジアのひとびとを6つの集団にまとめて仮定するのですよ、繰り返しますと本土日本人、アイヌ人、沖縄人、韓国人、北方中国人(注:サンプルは北京の漢族)、南方中国人(注:サンプルは中国系シンガポール人))の6つに、ね、この分け方が、なるほどそうかと、そう置くこともできるのですねーと、この仮定そのもの、仮定自体が俺にとり新鮮でしたーゆうことと、そして次にこれらの集団をさらに「すべて三つの集団の混血からなると仮定してゲノムを分析」してみるゆうんが、これまたなかなか斬新な、そして大胆な、ね、ですよね、そうしますと、この仮定をちょっといじって発展させてみる余地などありますのんか、いやいやこの仮定がとっても優れているがために、あんまりいじる余地などありませぬとなりますのんか、とすればその根拠をどこにどう求めることをできますのんか、などなど、そうなんです、まーんず、何はともあれ、この「仮定」にとってもひかれたんスーありがとうございますー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
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