しょういち家頁

お、おんどさが、きおんさぐわっ。


(あのー、そんなわけでー、ついでながら、とてもとてもおもしろひですんでー、ええ、紹介させてくだされよーさーせんー。)


 こんばんは。


石器時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
金石併用時代と石器時代の終焉
 やがて、自然状態で存在する金属を加工することを覚えた人類は、自然銅や自然金といった天然の鉱石を発見し、銅や金といった柔らかくて加工の容易な金属を使用するようになっていった。
 ただしこうした金属は硬度が不足しており、石器を完全に駆逐することはできなかった。
 この時代のことは銅器時代、または金石併用時代と呼ばれる。

 やがて冶金を覚え、スズと銅の合金である青銅を手にした人類は、完全な金属器文明である青銅器時代を迎えることとなった。
 ただし、石器時代の終焉時期は地域によって非常に異なり、なかには紀元後、すなわち西暦1世紀以降に入っても石器時代のままであった文明も存在した。
 こうした文明のうちでもっとも代表的なものはメソアメリカ文明やインカ帝国といった新大陸の諸文明であり、国家を形成し文明と呼ぶに足る高度な文化を築 き上げていたにもかかわらず、冶金技術は非常に遅れており、銅や金などを装飾品として使用する金石併用時代のまま、16世紀初頭にスペインの侵略を受け滅 亡することとなった。


(ぷひぃー。とん、とん。)

こんこんちきちきー。


(昨日の自問への自答なんスけども、どうして狩猟採集にどうしても惹かれてしまいまするのか、その理由は実は簡単でして、と言いますのんは、時間の 長さ、大きさなんでして、いいですか、ばふっと、あくまでばふっと申し上げさせてもらいますると、現生人類、ホモ・サピエンス誕生がざっと20万年前とし まして、定住、農耕牧畜が始まりましたんをざっと1万年前としますと、ざっと95%の時のあいだ、あなたや俺のご先祖さまらは、ずっとずううーっと狩猟採 集をして生きてきたんでありまして、どうですか、95%、もっと言いますと、ホモ・サピエンスのご先祖さまのご先祖さまなんてーのんを考えていきますと、 ざっと200万年前、どうですか、何パーセントになりますか、1万年前なんて鼻くそみたいなもんスよ、あ、ちがうか、さーせん、てなこって、俺が惹かれ る、ゆうよりか、もう自明の前提、あったりめーのこんこんちきよーとなりますのんも無理もありませぬ、いやそれどころか、至極当然なのでありまーす。)


 こんばんは。


石器時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
新石器時代
 地域によって違うが、オリエントの肥沃な三日月地帯では、紀元前8000年頃に、中米やメソポタミアでは、紀元前6000年頃に始まった。
 地質学的にいうと、人類が現生動物と共存する完新世に属し、磨かれた石の道具である磨製石器を主な道具としていた時代でもある。

 この時期のもっとも重要な出来事は定住の開始であり、さらにこれに伴って土器の使用、農耕や家畜の飼育が始まり、自給自足の生活へと変わっていったことから「新石器革命」とよぶことがある。
 もっとも、定住を開始したために農耕や土器製作などがはじまったのか、それとも農耕などの各種技術の発見によって定住を開始することになったのかはわかっていない。
 とくにこの時期に行われたオオムギやコムギなど穀物の栽培化は人類の食糧基盤となり、家畜は食糧源や輸送・労働力として重要なものとなり、また土器は石器に比べはるかに製作・成形しやすいものであり、より高度な道具の制作が可能となった。
 こうした発明は以後の技術発展の基礎となるものであり、人類の繁栄の基盤となった。

 また、この新石器革命は社会を複雑化させるきっかけとなった。
 効率的な食料生産はそれまでよりもはるかに大きな人口を扶養することが可能になり、莫大な社会余剰を生み出した。
 この社会余剰を元に、食料生産に直接的に従事しないスペシャリストが生まれ、さらに食糧生産をより増大させるために灌漑などの土木工事が始まり、それを実行するために社会の組織化が始まった。

 しかしはじまりの時期が違うように、生活様式は、地域で大分違っていた。
 例えば日本の縄文時代も新石器時代に位置づけられるが、日本で農耕が発達するのは縄文時代中期以降であり、牧畜は縄文時代を通じて存在しなかった。


(あの、頭のよい方が書く文章は、すすすーっと頭に入ってくる、とってもとってもわかりやすい、ですますことよなあーありがとうございまするー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

のどがちょと。うへえ。


(自分がなーんで石器時代にこだわるのでせうと、ええ、どうして関心を持つのかしらんと、自分ながらに自分に改めて問いてみますとき、なにやらこの 時代の生活様式や生き方に惹かれている自分がいますなあと、んで、じゃあどうして惹かれますのんと考えてみますと、ううーん、どうしてでせうかー。)


 こんばんは。


石器時代(※含む再掲っス。) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
中石器時代
紀元前1万年~紀元前8000ないし6000年頃の期間で、氷河が後退しはじめ気候が温暖になったため植物が繁茂し、動物が増えるなど、人間が採集狩猟で 食物を得やすくなった。技術としては、細石器の登場によって代表される。日本列島においては、細石刃の出現が指標となる。

中石器時代は旧石器時代と新石器時代の間のヒトの技術の進化の期間を指す。更新世終期(約10,000年前)に始まり、農業の開始(世界の地域により時期 が異なる)までで終わる。近東地域(地中海沿岸のシリア、エジプト、小アジアなどの地域)では、更新世終期には農業は始まっていた為、中石器時代は短い、 或は無いと分類される。

新石器時代


(て、あ、あの、本日はここで区切らせてくだされ、さーせん、と言いますのも、次がちぃーとまとまった分量ですし、ほんじゃあ小分けして小出しにい たしませうかと思いますとき、いえ、ひとまとまりに一気にご紹介したほうが、よりおわかりいただけることかと判断いたしましたーてなこってスーさーせ んー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

さみーぜ、おっつきさんよー。


(えー、本日は中石器時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』んなからー、時期を中心に抜き出してみとーございますればー、ええ、場所ごとにちとばらつきがありそうなもんですからー、よろしうさーせんー、はっ、ははあー。)


 こんばんは。


中石器時代(※抜粋っス。) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

レバント地方
(レバントまたはレヴァント(Levant)とは、東部地中海沿岸地方の歴史的な名称。厳密な定義はないが、広義にはトルコ、シリア、レバノン、イスラエル、エジプトを含む地域。)

中石器時代第1期 (紀元前20000年頃-紀元前12150年)
過渡期 紀元前20000年から紀元前18000年頃の気候と環境の変動
移行期 第1期遺跡の終末は紀元前12150年であり、第2期遺跡の始まりは紀元前11140年に遡る。

中石器時代第2期
新たな定住手法と新型の石器
ナトゥーフ文化は、紀元前11000年から紀元前9000年頃にパレスチナとレバノンに出現し、第1期を引き継いだ。

ヨーロッパ
更新世終期(約10,000年前)に始まり、農業の開始までで終わる
氷河が後退しはじめ気候が温暖になったため植物が繁茂し、動物が増えるなど、人間が採集狩猟で食物を得やすくなった。
近東地域(地中海沿岸のシリア、エジプト、小アジアなどの地域)では、更新世終期には農業は始まっていた為、中石器時代は短い、或いは無いと分類
最終氷期の終了により、より劇的な環境変化の効果を経験した地方が、明確に中石器時代

日本
細石刃の出現を指標とし、縄文時代の一部を中石器時代とする説もある。


(感謝感謝ですー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

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ぼつぼつー。


先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
石器時代(※再掲っス。)
中石器時代
 この時代の遺跡は少なく点在状態にあり、古代のごみ捨て場である貝塚程度しかめぼしいものが見つからない場合もしばしば
 食糧は貝殻類に限らず動物や鳥類の骨など、また既に犬を飼う習慣を持っていた事、時に人骨や石器類も発見


 こんばんは。


中石器時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
中石器時代(Mesolithic)は、石器時代の旧石器時代と新石器時代との中間の期間にあたる。亜旧石器時代(英語: Epipaleolithic)とも呼ばれる。

名称
「中石器時代」という名称の語源は、ギリシャ語でμεσός (Meso, 中間)+ λίθος(lithos, 石)である。

概要
社会の形態は狩猟採集社会であった。この時代の遺跡は極めてまれであり、ほぼ貝塚に限られている。ほとんどの地域の中石器時代は、小型複合燧石(細石器と 細刻器)によって特徴付けられる。漁労具、石製手斧、カヌーや弓矢のような木製品が、いくつかの遺跡で見つかっている。世界の森林地帯では、最初の伐採の 痕跡が見つけられているが、伐採の本格的な開始は、農耕のための特別な土地が必要となった新石器時代初期であったと考えられている。


(感謝感謝ですー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

ぶひぶひひー。


(さーせん、またも似たようなお話です、さーせん、こんなん考えてみたんス、すなわち、「ヤギ・ヒツジ」グループと、「ウシ・ブタ」グループは、同 じ家畜んなかでもちと性格がちがふ、したがって別々に考えてみる、なーんてこともできなくもなさそうだ、どうであらう、ふんむうー。)


 こんばんは。


(この前提で、お話をもう少し進めてみますと、およそ「農耕」、すなわちほぼ「定住」としますときに、この「定住」ちゅーもんに「ウシ・ブタ」グループは比較的に馴染むんじゃあるめ-かと考えてみたんスよー。)


(「ヤギ・ヒツジ」グループは、こりゃーもう季節によって山を登ったり下りたり、はたまたぽくぽく平行移動をしたり、とにかく「定住」の対極、い や、できなくもなさそうですが、詳しく存じませぬが、ですがそれでも、やはり「ウシ・ブタ」グループとこの面じゃーかなり開きがある、ですよね、とまあ、 そんなことを考えてみたんスけど、いかがでありまっせうー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

もう師走だなんていやあー。


(そうそう、これも言いたかったのです、あ、や、と申しますか、俺の「ううーん。」とする疑問は、俺のちょっとした違和感は、ここから始まったんで した、すなわち、「農耕牧畜」って、並び称すじゃねーですか、「農耕」と「牧畜」を並列にしますですよね、てこたー、この両者ゆうんは対等、大きさや影響 に関してほぼ同等、そんな捉え方になるのでせうか、そんな捉え方が正しいのでせうかー、うむむーどうもなー、どーなんだらうーと、こっからなのでし たー。)


 こんばんは。


(俺んなかで「農耕」のほうがまだ「牧畜」よりか身近なもんですから、ええ、だって「牧畜」と聞きますれば、俺なんかすかさず俺んなかのイメージで アルプス少女ハ×〇(※あ、さーせん、別に隠さなくてもいーんですけど、遊んでみたくなったんス、ただそれだけっス、さーせん。)のペーターだとか、その ブランコっちゃーどーなんだと昭和お約束、立った立った立っ、えーと、あ、けっして下(しも)に向かっちゃなりませんよ、何を言っているんですか、あン、 あ、俺スか、えー、本日は大したことがありませぬものですからとかダメっスよ俺ー。)


(あの、お話ついでにこんなんも思い浮かびました、ご参考までにといふことでご参照ください、ほら、こんな言い方をするでねーですか、「半農半漁」 だとか「半農半猟」だとか、「半農半牧」、んー、これは聞いたことがありませぬが、これらの「半」ゆうんが正確に「半」てこたーあんまりねーのでねーか と、ええ、わかってます、こだわるところじゃありませぬが、そうとわかっていても、ついついそんなことを考えてまう、そんなことってありませぬかー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

おぼろー。


(「牧畜」に関してなのですが、先日もお伝えの通りでして、俺の理解なんざーこの程度、ウシやウマよりかヒツジやヤギのほうが家畜化が早かった、先でしたーなんてことも、目から鱗(うろこ)ぽろりんこなもんですからー。)


 こんばんは。


(えーと、再度整理いたしますと、ヤギやヒツジが紀元前8千年紀の前後数千年、ウマが紀元前3000年、ウシが紀元前8000年かそこら、ちなみに イヌが最も遅くても紀元前11000年、ネコの時期はまだぶれぶれー、あ、ネコはいいスか、とまあこんな感じですか、んで、俺の疑問もまだまだ柔らかいの ですけれども、すなわち、何がわからないのかがいまひとつはっきりとわからぬ、俺がつまるところ何を知りたいのかが不明の状態、あの、ご理解いただけます よね、これが典型的な「わかりませぬ」ケースですよね、そんななかでも申しますと、家畜化が先か農耕が先か、すなわち「牧畜」と「農耕」は時期として同時 か、「農耕」が先なんじゃーあるめーか、するってーと「農耕」をはじめたから「牧畜」が可能になったんか、いや、そもそも両者に関係なんかねっぺよーとな るのか、それこそ両者無関係に「牧畜」は「農耕」より先にありましただよーとなるのか、てなこって、なんやかんやで、うーん、こだわりポイントがーなんか 違うようなー別にありますようなーいかがでありまっせうー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

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