地味汗ひゃっはー。(※特意味無。)
2026-3-18 23:18
(昨日文への俺勝手要約です、「1980年代から1990年代、研究者たちはサルに餌を取らせ、脳の単一ニューロンから記録を取り、特定の動きに対する反応を測定、手の動作に反応するミラーニューロンの存在を報告、その後の研究は、口の動作や顔のジェスチャーに反応するミラーニューロンの存在を記述」。)
こんばんは。
ミラーニューロン 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
発見(※続け〼。)
その後の実験により、サルの下前頭皮質と下頭頂皮質のニューロンの約10%が「ミラー」特性を持ち、手の動作の実行と観察に同様の反応を示すことが確認された。
2002年、クリスチャン・カイザースらは、ヒトとサルの両方において、ミラーシステムが行動の音にも反応することを報告した。
ミラーニューロンに関する報告は広く発表され、確認されている。
ミラーニューロンは脳の下前頭領域と下頭頂領域の両方に存在する。最近の脳機能イメージングからの証拠は、ヒトが同様のミラーニューロンシステムを持っていることを強く示唆している。研究者たちは、行動の実行と観察の両方で反応する脳領域を特定した。当然ながら、これらの脳領域にはマカクザルで見つかった領域が含まれる。
しかし、機能的磁気共鳴画像法は脳全体を一度に調べることができ、以前考えられていたよりもはるかに広範な脳領域のネットワークがヒトでミラー特性を示すことを示唆している。これらの追加領域には体性感覚野が含まれ、観察された方法で動くとどのように感じるかを観察者に感じさせると考えられている。
(ぷひぃー。とん、とん。)
(ヒトは、なにやら赤ちゃんのころは「ミラーニューロン」発現しまくりで、やがて次第に減っていきますよ、小学校低学年ごろに無くなりますよーゆうお話もちらりと拝見しました、よろしうー。)
こんばんは。
ミラーニューロン 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』(※続け〼。)
発見
1980年代から1990年代にかけて、パルマ大学の神経生理学者ジャコモ・リッツォラッティ、ジュゼッペ・ディ・ペレグリーノ、ルチアーノ・ファディガ、レオナルド・フォガッシ、ビットリオ・ガレーゼは、手と口の動作の制御に特化した神経細胞を研究するため、マカクザルの腹側運動前野に電極を設置した。例えば、物体を掴んで操作するといった動作である。
各実験中、研究者たちはサルに餌を取らせ、サルの脳の単一ニューロンから記録を取り、特定の動きに対するニューロンの反応を測定した。彼らは、サルが人が餌を拾うのを観察した時と、サル自身が餌を拾った時の両方で反応するニューロンがあることを発見した。
この発見は当初『ネイチャー』に投稿されたが、「一般的な興味の欠如」を理由に却下され、より競争の少ない雑誌に掲載された。
数年後、同じグループは、行動認識におけるミラーニューロンシステムの役割を議論し、ヒトのブローカ野がサルの腹側運動前野の相同領域であると提案する別の実証論文を発表した。
これらの論文が手の動作に反応するミラーニューロンの存在を報告する一方、ピエル・フランチェスコ・フェラーリらによるその後の研究は、口の動作や顔のジェスチャーに反応するミラーニューロンの存在を記述した。
(あの、さーせん、この「発見」の項は、さーせん、割愛してしまおうかとも思ったんですけれども、読み物としても、ええ、わかりやすう記述くださってますし、ですんで気軽に、肩の力を抜きましてお読みくださいますればー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
戻る。Back.
♪ざんらざらざらざらりんこー(※重低音。)
2026-3-16 23:02
(いかがスか、「ミラーニューロン」、俺の理解を申し上げますと、自分でのーて、近くにいる、自分の目に見える範囲にいる仲間がしていることを、まるであたかも自分がしているかのように感じる、思うことができる能力なんですと、あああーこれを霊長類も鳥類も持ってますよーと、なんともなんともー。)
こんばんは。
ミラーニューロン 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』(※続け〼。)
概説
ヒトでは、ミラーニューロンと一致する脳活動が運動前野、補足運動野、一次体性感覚野、下頭頂葉で確認されている。ヒトにおけるミラーシステムの機能は、多くの推測の対象となっている。
鳥類には模倣的共鳴行動があることが示されており、神経学的証拠はある種のミラーリングシステムの存在を示唆している。
現在までに、ミラーニューロンの活動が認知機能をどのように支えているかを説明する、広く受け入れられた神経学的あるいは計算論的モデルは提示されていない。
ミラーニューロンの主題は、激しい議論を引き続き生み出している。
2014年、王立協会紀要Bはミラーニューロン研究に完全に特化した特集号を発行した。一部の研究者は、ミラーシステムが観察された行動をシミュレートし、心の理論のスキルに貢献する可能性があると推測している。一方、他の研究者はミラーニューロンを言語能力に関連付けている。
マルコ・イアコボーニのような神経科学者は、ヒトの脳のミラーニューロンシステムが、他者の行動や意図を理解するのに役立っていると主張している。さらに、イアコボーニは、ミラーニューロンが共感のような人間の感情能力の神経基盤であると主張している。
(「広く受け入れられた……モデルは提示されていない。」「激しい議論を引き続き生み出している。」ゆう、いま現在とってもあつい、そしてまだまだやわらかいところなのですねー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
知らぬことを知るたのしさ。
2026-3-15 23:16
(えー、昨日のお話じゃ、まったく意見の異なる、それどころか正反対とも思えますふたつの説「理論説」「シミュレーション説」を紹介いただきましたが、これらをどう考えるべきか、どうとらえてみるべきか、両者の関係やいかに、などなど、俺なんかにゃーちぃーともわかりませなんだものですから、あなたにおききしーのでぷひぃー、というところまででしたー。)
こんばんは。
(そんなあやふやな俺なりにでも、何かを申し上げるとしますならば、どっちも相当程度当てはまる、正しい、とのことでして、もしかしたらふたつが重なり合う場面もあるのかもわかりませぬーといふものです。さーせん。)
ミラーニューロン 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミラーニューロン(英: Mirror neuron)とは、動物が行動する時と、他者が同じ行動を行うのを観察する時の両方で活動する神経細胞である。
このように、ニューロンは他者の行動を「鏡のように映し出す」のであり、まるで観察者自身が行動しているかのようである。
ミラーニューロンは、必ずしも生理学的に脳内の他の種類のニューロンと区別されるわけではなく、その主な差異は応答パターンにある。
この定義によれば、このようなニューロンはヒトや他の霊長類、そして鳥類で直接観察されている。
(な、なんてこった、また面白いことを教えてくださいましましー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
かすむ。かすむよ。
2026-3-14 23:16
こんばんは。
心の理論 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
理論説とシミュレーション説
人が他者の心的状態を理解するメカニズムに関して、「理論説(theory theory)」と「シミュレーション説(simulation theory)」の2つが提唱されている。
理論説
理論説では、人は先天的、後天的どちらであれ、他者に当てはまる一般的な「知識」や「理論」を持っており、これらに基づき他者理解を行っているとする。
ここではシミュレーション説とは異なり、自己理解と他者理解は独立であるという立場をとる。
シミュレーション説
シミュレーション説では、他者理解は理論的操作(=理論説)ではなく、自分を相手の立場において模倣する、つまりシミュレートすることで他者理解を行っていると考える。
他者の行動と自らの行動、その両方に反応するミラーニューロンの発見はシミュレーション説に強力な生物学的な根拠を与えるものと受け止められている。
(ほんわー。まったく正反対とも思えます、ふたつの説を提示下さいましたー。ふうーぬ、これをどう考えてみませうかー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
♪ざんらざらざらざらりんこー(※低音か。)
2026-3-13 23:16
(そして乾燥もーしわしわわしわしー。)
こんばんは。
心の理論 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
動物における心の理論
他個体の行動に合わせて自分の行動を変えることや、他個体を操作することを示唆する証拠が霊長類を含む多くの動物で見られる。
例えば霊長類学者リチャード・バーンは、下位のチンパンジーが餌を発見した際、上位のチンパンジーに餌を横取りされないように、餌から目をそらして、通り過ぎるのを待つ、という「欺き行動」が見られたことを報告している。
(み、みつかっちゃなんねえ、けっしてみつかっちゃならねえよーと、汗がつつつーとこめかみを伝う、つばをごくりと飲み込むばかりの緊張、そしてもちろん恐怖、お尻ひくひく、あの、みょーに親近感を覚えるのを、そして激しく同意しますゆうんを、そんなんは俺だけなのでせうかーあああー。)
ただし、「心の理論」を最初に提案したデイヴィッド・プレマックは論文「チンパンジーは心の理論を持つか?再考」('Does the chimpanzee have a theory of mind' revisited)において、人間以外の霊長類が「心の理論」を持つことを示す証拠は未だ乏しいことを認め、チンパンジーは多くの点で限定的な「心の理論」しか持たないとしている。
(ぷひぃー。とん、とん。)
戻る。Back.
さらさら、じゃねーざらりんこー。
2026-3-12 23:06
(ひっきりなしに洟をかんでいるひとが、お気の毒っスー。)
こんばんは。
(昨日のお話に関しましてふたっつばかり、ひとつは、このお話、実験などを知りましたんが、俺が成人してずっと経ってからでしたんで、まず、こんなんがわからぬ子どもがいるんかーってことに驚き、こんな実験を考え出したひとらに驚き、そうしてしばらく考えた末に、なるほどそういうこともあるんですなーと、そう、しばらく考えてやっと得心しましたーゆう、そしてもうひとっつが、これら実験を、幼児の成長過程のお話として扱っています、けれども、高齢者の場合はどうか、いや、働き盛りの年代のひとらにしても、この実験がなかなかに興味深い結果をもたらすのではあるまいか、つまり子どもだけでのーて、広く全般的に扱うことができるんじゃーあるめーかと思ったんスけれどもー。)
心の理論 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
心の理論の発達と自閉症
誤信念課題に対して、3 - 4歳児はそのほとんどが正しく答えられないが、4~7歳にかけて正解率が上昇するというデータが得られている。
パーナーらは、その後の一連の研究結果から、「心の理論」の出現時期をおよそ4歳頃であると推測している。ただしこれには、幼児の論理的思考力の発達時期と一致しているだけなのではないかという批判も存在する。
また、健常児が4歳ごろから解決可能になる誤信念課題を自閉症児がなかなか通過できないことで知られている。この結果に基づき、自閉症の中核的障害が「心の理論」の欠如にあるという考え方が提案されている。
ただし、すべての自閉症児が誤信念課題に失敗するわけではなく,通過する自閉症児も一定の割合でいること、そしてこのような実験が言語による教示を解するいわゆる「高機能」の自閉症児に対して行われてきたことなど、「心の理論欠如仮説」に反する証拠も存在する。
(ぷひぃー。とん、とん。)
スっススっスやかましゃーおーれー。
2026-3-11 23:06
(っス。)
こんばんは。
心の理論 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
誤信念課題
主な課題としては、以下の3つがある。
1.マクシ課題
マクシは、母親が買い物袋をあける手伝いをしている。
彼らはチョコレートを<緑の棚>に入れる。
マクシが遊びに行った後、母親はチョコレートを取り出して、今度は<青の棚>に戻す。
母親が卵を買うために出て行ったあと、マクシが遊び場から戻ってくる。
上記の場面を被験者に示し、「マクシはチョコレートがどこにあると思っているか?」と質問する。正解は「緑の棚」だが、心の理論の発達が遅れている場合は「青の棚」と答える。
(ああ、この実験は聞いたことが、そして見たことがありますです、そうですか、このたぐいのお話なのでありましたですかー。)
2.サリーとアン課題
サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいる。
サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行く。
サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移す。
サリーが部屋に戻ってくる。
上記の場面を被験者に示し、「サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すか?」と被験者に質問する。正解は「かごの中」だが、心の理論の発達が遅れている場合は、「箱」と答える。
3.スマーティ課題
前もって被験者から見えない所で、お菓子の箱の中に鉛筆を入れておく。
お菓子の箱を被験者に見せ、何が入っているか質問する。
お菓子の箱を開けてみると、中には鉛筆が入っている。
お菓子の箱を閉じる。
被験者に「この箱をAさん(この場にいない人)に見せたら、何が入っていると言うと思うか?」と質問する。
正解は「お菓子」だが、心の理論の発達が遅れている場合は、「鉛筆」と答える。
多くの場合、4 - 5歳程度になると、誤信念課題に正解できるようになるが、心の理論の発達が遅れていると、他者が自分とは違う見解を持っていることを想像するのが難しいために、自分が知っている事実をそのまま答えてしまう。
(♪ふんむふむふむなるほどスー(※←リズムのちょっとの違和感が。))
(ぷひぃー。とん、とん。)
なにが「うっとり。」だっ。
2026-3-10 23:16
(っス。)
こんばんは。
心の理論 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
誤信念課題
哲学者ダニエル・デネットは子供が「心の理論」を持つと言えるためには、他者がその知識に基づいて真であったり、偽であったりする志向や信念をもつことを理解する能力、すなわち誤信念を理解することが必要であると示唆した。
これに基づきハインツ・ヴィマーとジョゼフ・パーナーは心の理論の有無を調べるための課題を提案した。これを誤信念課題(False-belief task)という。
この課題を解くためには、前述したように他人が自分とは違う誤った信念(誤信念)を持つことを理解できなければならない。
主な課題としては、以下の3つがある。
(♪ふんむふむふむなるほどでーす)
(ぷひぃー。とん、とん。)
ざらざら肌。うっとり。
2026-3-9 23:06
(っス。)
こんばんは。
心の理論 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
心の理論(こころのりろん、英: Theory of Mind, ToM)は、ヒトや類人猿などが、他者の心の状態、目的、意図、知識、信念、志向、疑念、推測などを推測する直観による心の機能のことである。
(おお。「心の理論」っちゃー、自分じゃなく、他者の、他人様の心を推測する機能、ゆうのですね。ふんむう、ページを開いた甲斐(かい)があったといふものですーありがとうございますー。そして続けまするー。)
定義
「心の理論」はもともと、霊長類研究者のデイヴィッド・プレマックとガイ・ウッドルフが論文「チンパンジーは心の理論を持つか?」("Does the Chimpanzee Have a "Theory of Mind")において、チンパンジーなどの霊長類が、同種の仲間や他の種の動物が感じ考えていることを推測しているかのような行動をとることに注目し、「心の理論」という機能が働いているからではないかと指摘したことに端を発する(ただし、霊長類が真に心の理論を持っているかについては議論が続いている)。
この能力があるため、人は一般に他人にも心が宿っていると見なすことができ(他人への心の帰属)、他人にも心のはたらきを理解し(心的状態の理解)、それに基づいて他人の行動を予測することができる(行動の予測)。
(あー、なんのあれもござーせん、おっしゃる通りと存じまするー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
戻る。Back.
昨日出てきた「クーイング」の英語スペルはー。
2026-3-8 23:06
('qooing'とみましたぜ。して、正解は。て、文末にもっていきまーす。)
こんばんは。
言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
認知能力の発展と言語(※抜粋ならびに続きっスー。)
チョムスキー、ホイザー、フィンチ (2002年) によれば、この(言語を使用するものが有する一種の騙す能力の)高いレベルの言及は六つの相からなる:
(1)心の理論
サイモン・バロン=コーエン (1999年) は、40000年以上前からの以下の物の使用の証拠に基づいて、心の理論は言語使用に先立たなければいけないと主張している:
意図を持って行われるコミュニケーション、失敗したコミュニケーションの修繕、教育、意図的な説得、意図的なごまかし、計画や目的の共有、話題や焦点の意図的な共有、騙り。
さらに、こういった能力を示す霊長類もいるが皆がそうではないとバロン=コーエンは主張している。コールとトマセロのチンパンジーに関する研究の中にはこのことを支持するものがあって、チンプはそれぞれ他のチンプにも意識、知識、意図があることを認識しているようだが、間違った信念については理解できていないようであるという。
多くの霊長類が心の理論を幾分か認識しているような傾向を示すが、ヒトが持っているのと完全に同じ心の理論を持つ者はいない。最終的に、言語使用のために心の理論が必要だという点に関してはある程度合意がなされている。そのため、ヒトにおいて心の理論が完全に発達したことが完全な言語の使用にとって必要な先駆者だったといえる。
(えーと、えー、まーんず、このお話に入ります、その前に、はい、その準備段階としまして、この「心の理論」なるものが果たしてなんなのか、そしてこの、この、なんだ、「理論」をもって何をどう説明してくれようと言うのか、そもそもどうしてこの理論がどこから生まれてきたのか、なーんてーのんがわかりませぬと、ああ、なるほど、俺のようなひとがいるかもとおわかりになってらっしゃる、ちゃーんと「心の理論」のページも存在するのですねーさすがですー。)
('cooing’. 単語'Coo'です。ハトの鳴き声も指すようです。あ、ええ、ええ、そうですよ、こんなもんっスよーうへへへへー。(※←てれ。なんでだ。))
(ぷひぃー。とん、とん。)
まーんず許容範囲。 あ。
2026-3-7 23:27
こんばんは。
(昨日の文中、まんなからへんで「喃語期」なる言葉が出て参りました。んで、こりゃーなんと読むのか、意味はなんなのか、おわかりになりますですか。俺の感じじゃ「ほごき」「母乳で育つ期間」とみました。どうスかねー。)
喃語 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
喃語(なんご、英語: Babbling)とは、乳児が発する意味のない声。赤ちゃん言葉とも言う。言語を獲得する前段階で、声帯の使い方や発声される音を学習している。
最初に「あっあっ」「えっえっ」「あうー」「おぉー」など、母音を使用するクーイングが始まり、その後多音節からなる音を発声するようになる。この段階が喃語と呼ばれるものであり、クーイングの段階は通常、喃語に含めない。
喃語の使用によって乳児は口蓋や声帯、横隔膜の使い方を学び、より精密な発声の仕方を覚えていく。
(ば、ば、 ばぶ?)
言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
認知能力の発展と言語
言語を使用するものが有する一種の騙す能力は高いレベルの指示、つまり話し手にとって直近ではないものについて述べる能力である。この能力はしばしば心の理論、つまりそれぞれの欲求や意図を持っている自分とよく似た存在として他者を認識すること、と結びつけて考えられる。チョムスキー、ホイザー、フィンチ (2002年) によれば、この高いレベルの言及は六つの相からなる:
心の理論
個と性質の区別のような、非言語的・概念的な表現を習得する能力
指示の音声的シグナル
合理的・意図的なシステムとしての模倣
意図的なコミュニケーションの証拠としてのシグナル産生の任意の制御
数表現
(うほ、そしてそして、どうやらここからこれらをひとつひとつ解説してくださっているようですーうわああああー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
むかしーは、桜より梅だったくさ。
2026-3-6 23:02
こんばんは。
言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
コミュニケーション、音声、言語(※つづきでスー。)
ヒトの言語のカギとなる特性は問う能力にあるとも提言されている。(特にボノボやチンパンジーのように) ヒトである調教師と (主に視覚的な形でのコミュニケーションを利用して) 交流するようになり、複雑な質問や要求に正しく応じる能力を示す動物もいたが、彼らでも、そしてもっとも単純な形であっても自ら問いを発することはできなかった。
(あーそうなんスかそうなんですねーと思いました。「問う能力」、すばらしい着眼点です。敬服しますです。そうなんですが、ふと思いましたんは、彼らは、たとえばイヌやネコやオウムやおサルさんは、「疑問に思う」ことはあるのでせうか、そうであっても、それをヒトに「問う」までには至らぬゆうことなのでせうか、それとも、「疑問に思う」だなんてことはまったくせぬのでせうか、いーんや、んなこたーあるめーよーと思うのですが、すると俺の問いはなんなのだらう、なんなのでせう、えーと、ほんのもう少しで、たとえばヒトが上手に導くことで、彼らも「問う能力」を発現させることができるのか、いやいやそんなんそもそも無理となるのか、如何。)
ヒトの子供は統語構造を使い始める遥か前、彼らの発達段階のうち喃語期に (問うイントネーションを使うだけではあるが) 初めて物を問うことができるようになる。異なる文化に属する赤子はそれぞれの社会環境で母語を習得するが、地球上に存在する言語は例外なく―声調言語であれ、非声調言語であれ、抑揚言語であれ、アクセント言語であれ―一般疑問文には上昇調の「問うイントネーション」を使用する。この事実は問うイントネーションの普遍性の強い証明である。他に言及しておくべきこととして、激しい喜びの任意の表現は話し手の言語や国籍にかかわらず、概して下降調で発音され、これもまた普遍的であるということがある。
(これはあれでせうか、赤ちゃんが「ばぶ?(↑)」=「はよちちよこさんかいわーりゃー」や、「ばぶ?(↑)」=「いーからおしめかえろはやくしろ」とか、こんな感じのことなのでありませうかーあーあぁー(※→)。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
咳(せき)が。こんなことなかったんスけど。
2026-3-5 23:26
(ピダハン語にゃーまんだまんだひろがり、拡がり、広がりがありそうですが、ええ、それこそ「∞(無限大)」ですが、んが、またの機会にいたしませうー、これまで大変大変ありがとう存じまするー。)
こんばんは。
(あーそうでしたそうでしたー、どこでしたっけかーと過去にさかのぼりましてー、2月24日の記述なんですがー、間違いと誤認したりなんだりがありましたですねー、そんなことがありましたもんですから、ここはそのまんまあえてコピペ、はい、本日は復習をいたしますですーよろしうー。)
(と、思ったんですが、やっぱりやめます、うへへ、さーせん、と申しますのは区切りが悪いんです、ですんでさらにもう少し遡ります、はい、お願いします、どうしたいかと申しますれば、「コミュニケーション、音声、言語」の項を初っ端(しょっぱな)から再開といふことですーよろしうおたのもうしますー。)
言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
コミュニケーション、音声、言語
→「動物のコミュニケーション」および「動物の言語(英語版)」も参照
多くの科学者が音声と言語を区別している。(コミュニケーションのコンテクストとして、そしてとくに概念を形成してそれを伝えるための認知能力としての) 言語は精神遅滞や学習障害でも (特異性言語障害(英語版)のような) いくつかの場合には使えるし、動物界でも知られていると学者たちは信じている。
例えば、いわゆるトーキング・バードは様々な能力によってヒトの音声をまねることができる。しかしこのヒトの出す音をまねる能力は統語能力の習得とは大きく異なる。同様に、音声を発することは、現代の手話が証明しているように、言語を使用する上で必須ではない。
手話は音声よりむしろ手振りによる記号・文法を言語の基礎として利用している。モールス信号だとか手旗信号といった者の体系は別の形のコミュニケーションだが、必ずしも言語ではない。
ヒトの言語をヒト以外のコミュニケーションの体系から区別するカギとなる特性は再帰性であると主張されてきた。この言語学的な意味での再帰は、例えば(The man with the old crusty eyepatch he wore since WWII) walked to (the store that burned down before his uncle had put down the downpayment)という複合的な文や、あるいはより情報量の少ないThe man walked to the store which the man who walked to the store walked toという文のように、語句の中に語句を挿入する (あるいは埋め込む) ことを言う。
ムクドリ (Sturnus vulgaris) がこの再帰性を含む文法を習得できることがシカゴ大学での実験により明らかになった。実験者たちはムクドリに文脈独立な中央埋め込み(英語版)という文法を訓練させた。ムクドリは文法的に許容できる発話を認め、そうでない発話を拒否することができたと彼らは報告している。
さらに、ピラハン語はヒトの言語でありながら再帰性を示さないとダニエル・エヴェレットが主張している。
(ぷひぃー。とん、とん。)
戻る。Back.
目はまだしも、鼻と喉。
2026-3-4 23:26
(うおー、「ピダハン語」もたふたふ最後まで参りましたー、なんですが、この「達成感のまるで無さ。」ゆうんはーなんでですかいのー。)
こんばんは。
ピダハン語 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
他の言語に関する知識
(さーせん、読み物としておもしろく、たのしませてもらいました、んが、次に進みとう存じますよろしうさーせん-。)
言語と再帰
古典的には言語の文法について、英語の基本5文型(SV, SVC, SVO, SVOO, SVOC)といったように、有限個の類型に分類するスタイルがあった。
これに対しチョムスキー以降の生成文法の立場では、次のように、再帰が使われるようなかたちで文法を示す。たとえば "Big furious bears ran." というような文のうち、 "big furious bears" という句は全体として名詞句であるが、「名詞句 → 形容詞+名詞句」「名詞句 → 名詞」という2つの規則により生成が再帰的に行われ、「名詞句 → 形容詞 (形容詞 名詞)」となっていることが重要である。
自然言語一般に「その言語において正しい文」というものは、無限にあるように思われる。このような無限の文は前述のようにして、文法に再帰があることで可能になっていると現代の言語学では考える。また、そのように無限に新しく文を考えられることが、創造性などを支えているようにも思われる。
そしてチョムスキーは、ヒトには一般に初めて見聞きした文であっても、それが正しい文か「非文」かを、何らかの文法にもとづいて認識できる生得的な何かがあるという仮説を提示した。→「普遍文法」も参照
以上のような背景があることから、もし「再帰が無い言語がある」とすれば、それは大発見である、というような主張につながるわけである。
(ぷひぃー。とん、とん。)
(く、くく、くもが。ちくせうー。)
こんばんは。
ピダハン語 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
サピア=ウォーフの仮説との関係(※つづきっスー。)
ピダハン族は、この文化的ギャップが原因で商売取引でだまされていたので、エヴェレットにごく基本的な数学的能力を付けさせてくれるよう頼み、8ヶ月間に渡ってエヴェレットとともに日々熱心に学んだものの、成果は得られなかった。
(ああ、しかし、ピダハン族のなかでは、数などわからなくともよかったんですよね。他の人たちと関わるようになって、うんぬん、かんぬん。)
ピダハン族は自分たちにはこの種のことは身に付けられないと結論し、勉強をやめた。ピダハン族には、10まで数えたり、「1 + 1」が分かる人は一人もいなかった。
エヴェレットは、彼らが数を数えられない理由に、次のような事項をあげている。
彼らは数を数えることのない遊動の狩猟採集民であり、それゆえ実践することもない。
現在を越えて物事を概括的に述べることに対して文化的制約があり、そのことが数を排除する。
何人かの研究者によれば、数の語彙や数を数えることは言語上の再帰を基礎とするものであり、ピダハン語には再帰がないので、必然的に数えることができない。
換言すればそれはつまり必要性の欠如であり、それが数える能力とそれに対応する語彙の双方の欠如を説明する。エヴェレットは、ピダハン族が頭の中での認識レベルでも数えることができないとは主張しておらず、前述のように現在ではこの文化は失われつつある。
(ふと思ったんスけども、ピダハン族のひとが考える「言語」と、あなたや俺が考える「言語」に対する考え方が、まるっきり違うんじゃーありますまいか。「言語」に期待する役割やら、んー、そもそもの考え方やら求めるもの、そんなんが根本的にちがうんじゃーありますまいかー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
簡単なお話じゃーありませぬー。
2026-3-2 23:06
(ほわわわー、なんしか「数」と言語の関わりにつきまして、詳しく書いてくださってざーますござーますぶひぶひー。(※←リズム。))
こんばんは。
ピダハン語 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
サピア=ウォーフの仮説との関係
サピア=ウォーフの仮説では、ある人が話す言語と、その人の世界の認識の仕方には関係があると考えるが、NHK「ピダハン —謎の言語を操るアマゾンの民」ではピンカーが言語と文化は関係がないと話しているのを紹介している。
ピダハン族の数に関する知識とこの仮説の重大な関連性について、フランクらによる結論によると、ピダハン族は目の前にあるものについては数を大体把握できるが、目の前にあるものを、数を認識してくれるよう頼む前に隠してしまうと、困難となってしまう。
— Frank (2008)
正確な数量を持たない言語であっても、それはピダハン族が(沢山のものを数えた場合に、それと等しい)正確な数を必要とする仕事を的確に行うことができないことを意味するわけではない。このことは、「数を表す言葉が、正確な数量という概念を生む」というウォーフの強い主張に反証する。(中略)
それよりも、大きく正確な基数を表現できる言語は、その話者に対して、それよりかは控えめな影響を与えることをピダハン族のケースは示唆している。これらの諸言語では、話者は、空間・時間・モダリティの変化を飛び越えた正確な基数の情報を記憶・比較することが出来る。(中略)
このようにピダハン族は「1」の概念を(それを表す言葉がないが)理解している。さらに彼らは、ある一揃いものに「1」を足す、または引くことによって、一揃いのものの数量が変化することも理解しているように思われる。この知識の一般性は、数を表す言葉を用いて任意の基数にラベルを貼っていく能力がなければ、難しいにもかかわらず。
— Frank (2008)
(ぷひぃー。とん、とん。)
なるほど「言い回し」スかー。
2026-3-1 23:16
こんばんは。
ピダハン語 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
語彙(※つづきっスー。)
色の語彙
ピダハン語には色彩を指す抽象語がない数少ない文化の一つであると言われている。こういった文化は、主にアマゾン盆地やニューギニアに見られ、そこでは「明るい」や「暗い」を指すを特定の語のみ存在する。
エヴェレットの博士論文にあるピダハン語の小辞典には、色彩の語彙目録があるものの、その後の20年に及ぶ現地調査から、2006年の論文では、これらは色そのものを指す語彙ではなく、色を描写する言い回し(例えば、赤に対して「血(のような)」という具合)であると考えを改めている。
(ふわあーこれはどうしてなんでせうかー、「数」のお話とおんなじになりますけどもー、特に必要が無い、「色」など識別せずとも、できずとも、日常生活を送る上でなんら支障などありませぬーゆうことなのですかー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
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